2011年3月22日火曜日
2011年3月11日 MEMO
テレビやネットで観た東北の、
累々と続く破壊された街並や
原発の建てもんが破裂する様子、
それと
行方が分からんおかあさんを探して
流された自宅付近のがれきの山の前で泣き叫ぶ6年生の女の子の姿を
たぶん私は一生忘れることはないです。
毎日私が食べてるおこめは福島産で
朝用のヨーグルトは岩手からのやつで
がっつの出身は宮城の古川。
おこめ作ってくれた農家のひとや
ヨーグルト作ってくれた工場のひとや、その乳をくれた牛たちや
がっつの写真にいつも出てくるどこか懐かしい風景が頭の中を廻って
胸がぎぅとなって、鼻がつーんとなって、
目がじわんと熱くなった。
おこめもヨーグルトも、ひと粒・一滴残したらアカン、皿まで舐めなアカンような気がして、
そんで改めて"ありがたい"って言葉の意味に気づいて、また涙が出る。
スーパーに並んどる食料を買って食べることや
家族に電話してどーでもいいことを20分ぐらいかけて喋ること、
仕事したり遊んだり泣いたり笑ったり怒ったり甘えたり。
毎日の『あたりまえ』は実はまったく"当たり前"なことやなくて、
"有り難い"ことなんやな。
31年も生きてきたくせに
こうすることでしか気づけへんってほんまに此れ情けない限り。
有り難いこと=そうそうないこと。
そやからやるよ、がんばる。もうキバる。
無駄にできひんやん、こんなん、ぜったい。
私の性格やからまたきっとどっかでだらけたりさぼったりするやろけど
でも流れの向きが、根元のぶぶんが、
あきらかに塗り替えられてるように実感せざるを得んもん。
嫌が応にでも。
幸い、ほんまにさいわいなことに
私の周りには素晴らしい尊敬できるひとやことがたくさんあるので
できることからこつこつと。
着実に進め、わたし。
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